市職員さんの想い(寄稿文)


藤枝市 地域包括推進課

稲葉由紀子

 

 

2年前に部署異動をしたとき、私が感じたことは、認知症のことをよく知らない中で認知症事業担当になったことに対する不安と、入庁前希望していた高齢者部門に所属できるという喜びでした。

 

認知症の方と接する機会の少なかった私の「認知症」についての最初の記憶は学生のころに観た「私の頭の中の消しゴム」という若年性認知症の女性がヒロインの映画でした。変わりゆく彼女の姿に葛藤しながらも尽くしていく夫、そして自分が自分ではなくなる感覚に苛まれ苦しむ彼女。時がたち、施設で穏やかに過ごしている中で記憶が一瞬蘇ったときに夫が愛の言葉を伝えるシーンが印象的でした。「いくら記憶がなくなって分からないことが増えても、その人がその人であることは変わらない」ということを強く感じたことを覚えています。

 

ほっと会の定例会に参加するときには、ご家族がどのような想いでいるのか、その想いに寄り添えるように話を聞くことを心がけています。参加者一人一人の人生に触れ、少しずつですが、ご家族の気持ちや抱えている悩みを知ることができました。 

 

ほっと会が、ご家族にとって気持ちを吐き出せる貴重な心の拠り所となっていること。認知症と一口に言っても症状は個人差が大きいので介護をされている方々が情報交換をして先の見通しをつけることが心の支えになること。一方で、在宅介護で限界を感じる中で認知症の周辺症状により施設の受け入れが難しくて苦しんでいたり、施設に預けることで安心だけではなくてその後もずっと施設入所をさせた事が良かったのか葛藤が続くことなど…様々なお気持ちを知ることができました。

 

ほっと会で皆さんと接する中で、認知症の施策を考えるときには(認知症のご家族の気持ちを大切にしていきたい)と自然に思うようになってきました。

 

まだまだ今は話を聞かせていただくことしかできていない私ですが、みなさまのお話を伺うなかで、認知症事業担当者として認知症施策をより良くし、みなさまに還元できるように、日々、努めていきたいと思います。

 

西山さんからお話で、この便りに私の文章を載せていただくことなったことに恐縮していますが、こうやって、ほっと会に参加しての感想・思いを改めてまとめる機会をくださったことに感謝します。また、いつも私を温かく迎えてくださる、ほっと会の会員のみなさまにも深く感謝いたします。

 

(2018年8月)

 


藤枝市健康福祉部 地域包括ケア推進室

認知症地域支援推進員 横山麻衣氏

 

 

昨年は定例会を通し、皆様から多くのことを学ばせていただきました。

認知症地域支援推進員となったものの、これまで病院や施設で働いていた私にとって、地域で働くことは、右も左も分からない状態からのスタートでした。そんな中、定例会に参加し、ご家族の様々な思いを聞くことが、私の道しるべになっているように感じます。

 

私はこれまで、作業療法士として介護老人保健施設で働いていました。「作業ってなに?どんなことするの?」と、よく聞かれました。今回はそんな”作業療法”について少し書かせていただきます。

 

作業療法の”作業”とは、私たちが心と体を使って行うこと全てです。例えば、食事 入浴 更衣 排泄 運動 おしゃべり 寝る 料理 読書 休息 仕事 ドライブ 掃除 洗濯 ・・・こうした日常生活の中で行っている一つ一つが”作業”です。私たちの生活は作業の連続から成り立っています。

そして、その一つ一つが人にとってそれぞれ意味を持ちます。日々の暮らし中で、大切にしている作業や、価値を置いている作業は、人それぞれであり、それがその人らしさにも繋がっています。

病により障害を負うと、生活に必要な作業や大切にしている作業が上手く行えなくなり、多くの人は「自分の生き方」を失います。

作業療法は様々な手段・関わりを通して、病気で失われた生活や傷ついた心を回復し、その人にとっての「生き方」を取り戻すお手伝いをする技術と理論です。

 

ここからは、私が介護老人保健施設に入所していた、80代後半のAさん(女性)のお話です。

アルツハイマー型認知症を患いながらも、デイサービスに通い、娘様と在宅で生活をしていました。しかし、大腿骨頸部骨折により急性期病院で手術を受け、回復期リハビリテーション病院から施設へ入所することになりました。

身体機能に関しては、シルバーカーで歩けるまでに回復し、排泄や更衣などの日常生活動作も自宅で暮らしていた頃のように自立して行えるまでに回復しました。しかしAさんは、骨折・手術・入院生活・・・環境の変化に適応できず、認知症の症状が急激に悪化しました。

 

施設に入所した日、目を潤ませて不安げな表情で、

「ここはどこかね?」

「くみこ(娘の名前)は知ってる?」

「わたしお金持ってないけど・・・」

「ここにいていいの?」

「もう帰るわね」

「分からんようになっちゃったもん・・・」

繰り返し、職員に訴えます。

 

認知症による 記憶障害(なぜここにいるの?) 見当識障害(ここはどこ?) によりAさんは、現状が理解できず、強い混乱と不安を抱えていました。ましてや、顔も知らない人ばかりの中で、お金も払っていないのに、食事が出てくる、自分はここにいていいのか・・・と不安は増すばかりです。

看護職員や介護職員とみんなでAさんのケアについて相談しました。まずはAさんの置かれている世界をみんなで理解し、混乱や不安な気持ちを和らげるような関わりを心がけようと、Aさんへのケアが始まっていきました。

 

まずはAさんを”知る”ことから始まります。

大腿骨頸部骨折受傷後であるため、筋力や持久力、バランス能力等の身体機能の状態、認知症によりどのような症状が出現しているのか、そしてそれらが生活へどのように影響しているか検査を用いて評価します。

その中で、出来ないことや障害だけに目を向けるのではなく、残された能力を見つけていきます。

同時に、Aさんや家族がそのような生活を望んでいるのか、Aさんはどんなところで育ち、そんな仕事に就いたのか、趣味や好きなこと、嫌いなこと等、Aさんの語りに耳を傾けAさんを”知る”ことに努めます。

 

その中で見えてきたことは、Aさんは円背や骨折により、左股関節の周りの筋力が低下しており、左足の支持性が低下していました。

これによりシルバーカーがない状態では転倒してしまう危険性がありました。

しかしAさんは認知症による記憶の障害がありシルバーカーを忘れて部屋から出てきてしまうことも多くありました。

そこで、Aさんがシルバーカーを忘れても安全に移動ができるように、Aさんの生活動線(施設の中でのAさんの動き)を調べ、手を伸ばせば掴まるものがあるよう生活の環境を整えました。

 

そして認知症による、記憶障害(何故ここにいるのか分からない、同じことを繰り返し職員に聞く)、見当識障害(ここが何処か分からない、トイレやお部屋が分からない)といった症状に伴い、不安や焦燥、廊下を歩いて回る様子が見られました。

周りは知らない人ばかりで、お金を払っていないにも関わらず、ご飯におやつは出てくる…そんな状況で、自分はここにいてもいいのか、お金は払ってあるのか、心配は増すばかりです。

 

不安な表情で「ここはどこかね?」と繰り返す中、Aさんを知るために色々なことを尋ねてみました。

その中でAさんは「わたしは仕立ての仕事をしてたの、針仕事あったらやるよ。持ってきな。松坂屋からも頼まれたくらいだよ。」と話し、仕立て屋としての強い自尊心が感じられました。

わたしはAさんに針仕事をお願いしてみました。Aさんの残された能力を見つけるためです。

Aさんに巾着袋の作成をお願いしました。針やハサミなどの使用はお手の物で、慣れた手つき、縫い目の大きさも均一で、細かな作業でも視力も問題もなくこなしました。針を使うという手続き記憶(体を使って覚えた記憶)は保たれていました。

しかし、認知症による記憶障害や実行機能障害により、”何を作っているのか”を忘れてしまい「どこ縫えばいいの?」と確認したり混乱することがありました。

そこで、縫う場所に印をつけると、混乱はなくなりました。そして何より、針仕事中はとても集中し生き生きした表情です。不安や心配を示す発言も全くありませんでした。Aさんの残された能力に合わせた作業の提供を続けました。

 

周りから作品を認められることで、Aさんの自信にもつながりました。

針仕事というAさんにとって、なじみの作業を通し落ち着いて過ごす時間とAさんらしさを少しを取り戻すことができたように感じます。

トイレやお部屋が分かるように環境に目印をつけることで、迷うこともなくなりました。

なじみの作業と環境への慣れと共に落ち着いて過ごせる時間は増え、繰り返しの質問も減りました。

入所当初、認知症の症状の悪化に戸惑った娘様も、徐々に落ち着くAさんを見て安心を取り戻し、外泊を取り入れ、以前のように自宅で生活をすることを考え始めました。

 

認知症になると日々の暮らしの中で、喪失体験・失敗体験に遭遇します。そんな中で、できること、残された能力に目を向けることが、自信や安心につながるきっかけになっていくと感じています。

そして、その人らしさにつながる作業を見つけていくことが、自分を取り戻すきっかけにも繋がると感じています。

作業療法は、人・環境・作業という視点から、病気や障害で失われた”その人らしさ”を取り戻すお手伝いをします。

 

(2016年12月)

 


藤枝市健康福祉部 地域包括ケア推進室

室長(当時)  藁科仁美

 

 

4月に新設された地域包括ケア推進室に着任し、瞬く間に秋を迎えました。使命は地域で包括的にケアできるシステムづくり。難しい課題です。

 

地域包括ケアシステムについて、日本看護協会常任理事の中板先生は「病気で無い高齢者も、病を抱える住民も、障害と共に生きる障害者も認知症も、精神障害も難病も、依存度の高いこどもも、みんな、地域で当たり前に、暮らしたい。」と説明しています。これは行政の責務として当然の事であり、皆様からも期待される事ながら、これは市の担当課も多岐に渡り根拠法律も膨大です。いきなり目前に富士山が立ちはだかったようで、山登りの準備運動から酸素欠乏の状態でした。

 

そこに力を与えてくれたのが、まさしく「地域」の皆様でした。優先順位を考え、まずは「地域で支える医療介護」を目標にしました。司令塔となる専門会議には医師会・市立病院を始めとする医療・介護のスペシャリストが参集し、研究課題を「すぐ施策化」が始まりました。在宅生活を支えるための、訪問・通所介護に加え、かかりつけ医による訪問診療、それをサポートする訪問看護など、ケアマネさんが力量を発揮できる土台が固まりつつあります。さらに歯科医師や歯科衛生士を中心に「最期まで食べる楽しみをもって生ききれるように」と藤枝版口腔ケアマニュアルももうすぐ完成します。薬剤師さんも積極的に在宅訪問システムを形にしてくれました。これで専門職分野は馬力有る四駆で新五合目まで到達できそうです。

 

そしてこれからが正念場。一歩ずつ踏み出す生活の基盤づくりです。ある地区社協は「日本一健康の郷」を福祉懇談会のテーマに動き出しました。「男性の社会参加・活躍の場」や「居場所づくり」など、ほっと会が手掛けてきたことが、市域全体のお手本になる時がきました。皆さんの出番です。地域の元気が一番の推進力です。

 

年末に向け、今年の流行語大賞は「包括ケア」と「2025年問題」と予想しました。しかし流行語として流されることなく、皆様と一緒に誰もが主体的に生活することができる市であることをイメージして、少しずつでも前に上に進むようにしいて行きます。今後もともに歩んでいけますように。(気持ち先行の雑文をお許しください。)

 

(2015年12月)